※※「白のフリーク」本編ネタばれ有りです。※※
本編の18~19話くらいまで読み終わっているのであれば無問題です。
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―・・・記憶の中の少女は、いつも笑っていた。
太陽のような髪と笑顔。二つ歳の離れた兄と同齢のその少女は、套矢にとって姉のような存在―・・・
・・・かと思えば、そうでもない。
心の中の喜怒哀楽をそのまま受け入れていた少女は、ころころと表情を変えては套矢と祷葵を振りまわしていた。比較的落ち着いた性格であった兄と正反対の、天真爛漫なその少女は、套矢から見れば同年代か、はたまた年上の妹のような存在であった。
そして、その少女は、いつも笑っていた。
「・・・はあ。」
小さく吐いた溜息が、やけに大きく響く。ベッドの上でゆっくりと上体を起こし、套矢は自身の左胸に手を這わせた。ちくちくと主張するその痛みは、手術した名残か、それ以外か。
ぐるりと部屋を見渡す。やわらかな色合いの学習机が目に入る。椅子に背負わせている黒いランドセルは、かつて自分と一緒に毎日学校へ通っていた学友だ。兄とお揃いのキーホルダーをぶら下げたりして。
手術痕に響かないよう、そっとベッドから這い出し、学習机の前に立つ。木目調の引き出しに手をかけ、ゆっくりと手前に引く。カラカラと音を立てて転がる鉛筆、使いかけの消しゴム。
それらの間から顔を覗かせる、小さなドラゴンの人形。ゴム製のツメをいっぱいいっぱいに広げ、赤い瞳で一生懸命威嚇している。
套矢の脳裏に、一人の少女の顔がよみがえる。ほんの数ヶ月前のことなのに、ひどく懐かしく感じる。
あれは、暑い夏の昼下がりだった。ヒリヒリと焼けつくような日射しと、絶え間なく聞こえるセミの声。
汗だくになりながら、いつものように三人で駄菓子屋に駆け込む。今日はアイスにしようか、ジュースにしょうか、などと他愛もない言葉を交わしながら。
「・・・あっ!」
十分に冷えたジュースを片手に、紅髪の少女が足を止める。何か良いものを見つけたのか、見開いた瞳を輝かせてお菓子の積まれた棚を凝視していた。
「朝奈、どうしたのー?」
後ろからひょいと覗きこみ、套矢も同じように感嘆の声をあげた。
パッと目を引く黄色いPOPには、赤い字で新発売と大きく掲げてある。その下に並べられた箱には、今子どもたちが夢中になっているアニメの絵が描かれていた。
どうやら、ラムネと一緒にアニメのキャラクターを模したゴム人形がランダムでひとつ、同梱されている
という商品らしい。それだけで、子どもたちの心を鷲掴みにするには十分だった。
「しんはつばい、だって!」
「いいなあ~。」
わいわいと棚の前で盛り上がる套矢と朝奈。その後ろから、少し落ち着いた少年の声がなだめる。套矢の隣に並び、手に持ったジュースの缶でその頭を軽く小突いた。
「ダメだぞ、套矢。今週のおこづかい全部使っちゃっただろ?」
「え~・・・でも欲しいよお。」
「あたし、これ買う!」
「ずるいよ、朝奈!」
箱をひとつ手に取り、勝ち誇ったような笑顔を浮かべる朝奈を見やると套矢が不満げに頬を膨らませる。
やれやれ、と呆れたように笑い、祷葵がズボンのポケットに手を入れる。中から銀色の硬貨を二枚取り出すと、口を尖らせている祷葵の目の前に差し出した。
「套矢、ほら。」
「え?・・・えっ!?良いの!?」
「父さんには内緒だぞ。」
そう言って笑うと、曇っていた套矢の顔がぱあっと明るくなる。ちゃりん、と音を立てる二枚の硬貨を握りしめ、「ありがとう、兄さん!」と満面の笑みを浮かべる。小さな箱を手に取り、朝奈と並んでカウンターへと駆けてゆく。その後ろ姿を、祷葵は柔和な笑みを浮かべて見つめていた。
各々戦利品を抱えて、店を出る。入口の横に置かれているベンチに並んで腰をかけた三人の視線は、二つの小さな箱に集中していた。
わくわくと瞳を輝かせながら箱を開封する朝奈と套矢の手のひらに、ほぼ同時に転がり落ちたゴム人形。
「ええ~・・・」
朝奈の表情がみるみるうちに曇る。それもそのはずだった。
朝奈の手のひらでは、パッケージに描かれている白いドラゴンと形すら似ているものの、黒い体に赤い瞳をもついわゆる「敵キャラ」の人形が憎たらしい表情で威嚇しているのだから。
「・・・う・・・。」
「お、おい。朝奈?」
ふるふると肩を震わせる朝奈を見やり、祷葵が狼狽した表情を見せる。一度泣きだせばその涙は枯れることを知らず、宥めて泣きやませるのに相当な時間と労力を消費することを良く知っているからだろう。
じわじわと瞳に涙を浮かべる朝奈と、その隣で困惑しきっている祷葵を一瞥し、套矢は自分の手のひらでころんと揺れるゴム人形に視線を戻す。
白い体、大きな翼、愛くるしい表情を浮かべている小さなドラゴン。
アニメのタイトルと同じ名をもつ、三人が夢中になっているヒーローだった。
ぐっ、と決心したようにその人形を握りしめ、套矢はおもむろに朝奈の手のひらから黒いドラゴンをむしり取る。目を見開き、ぽかんと呆気にとられている隙に、自身が引き当てた白いゴム人形を半ば押しつけるようにして握らせた。
その間、わずか2秒。状況を理解できずにしばし硬直していた朝奈だったが、やがて曇っていたその表情に光りが戻り始めた。
「・・・套矢、いいの?これ、套矢が・・・。」
「いいよ。朝奈にあげる。」
そう言って満面の笑みを朝奈に向ける。套矢と同様の表情を浮かべながら、朝奈は大事そうにその小さな人形を握りしめた。
「ありがとう、套矢!あたし、ずっとずっと大事にする!一生の宝物にする!」
「・・・おおげさだよ・・・。」
指先で黒いゴム人形をいじりながら、そっと朝奈から目を逸らす。
満面に咲いた朝奈の笑顔は、まるで太陽そのものだった。
眩しくて、温かくて、直視できないのだ。
「・・・俺も、大事にする・・・。」
誰にも聞かれないように、ぽつりと呟く。黒い人形を見つめる套矢の眼差しは、まるで愛しいものを見るような穏やかな表情に満ちていた。
―・・・そうだ。ただのゴム人形なら、こんな気持ちにはならない。
黒い敵キャラ。つまり「ハズレ」の人形に、こんな感情は抱かない。
自覚していた。自分の中に芽生えた、小さな小さな想いに。
わかっていた。その想いが、決して実らないことを。
***
「・・・兄さん・・・。・・・朝奈・・・。」
気がつくとそう口に出していた。套矢の瞳から、ぽろぽろと熱い雫が溢れてはこぼれ落ち、黒いドラゴンを濡らす。
「会いたいよ・・・・・・。」
叫び出しそうになる喉をぐっと抑えつける。次から次へと溢れ出す涙に、頭の奥がじんじんと痛む。
この黒いゴム人形が、套矢に残された「記憶」のすべてだった。「思い出」のかけらだった。
自分と兄を、そして幼馴染の少女をつなぐ最後の糸だった。
いつか誓った通り、大事に大事に持っていたのだ。古斑の家に連れてこられてから十数年。套矢の心の支えはこの小さなゴム人形だけだった。
***
「・・・それで、決まったのか?」
「え?」
間の抜けた声が口をつく。呆れたように小さな溜息をひとつ零し、耕焔が続けた。
「河拿研究所に送り込む刺客のことだ。雛形となるものを用意しろと言ったはずだ。」
「・・・ああ・・・」
思い出した、と言わんばかりに套矢がぽんと手を叩く。肩をすくめ、耕焔は套矢に背を向けて廊下の奥へと足を進めた。
「この際、犬でも猫でもなんでも構わん。早めに頼むぞ。」
「・・・はい。」
とりあえずの返事を返したはいいものの、套矢の脳内はまるで白紙だった。
いきなり未知の生物を作れと投げ出されても、套矢の乏しい記憶は、想像力を補うには不十分すぎた。
「・・・なんかないかなあ。」
部屋に戻った套矢の口から思わずそんな独り言がついて出た。子どもの頃は広く感じたこの部屋も、今とはっては窮屈で雛形の手掛かりになるようなものなど見当たらない。
「うっ・・・!!」
突然激しい頭痛に襲われ、套矢の体がぐらりと揺れる。遠くなる意識が、「もうひとつの人格」が主張を始めたことを物語っていた。
「・・・やめ、ろ・・・!出てくるな・・・!」
頭を押さえ、ぶんぶんと振りかぶる。しかし、そんな抵抗も虚しく套矢の視界は徐々に闇へと沈んでゆく。
最後に見た己の手は、何かを掴もうと伸ばしかけていた。
「・・・う・・。」
ベッドの上で目を覚ます。どうやらあのまま気を失っていたようだ。
布団の上に無造作に横たえていた体を起こす。机の上の時計に目をやると、部屋に入ってからほんの十分程度しか経過していないことがわかった。
気を失っていたことを考えると、「もうひとつの人格」が活動していたのはほんの数分。その数分でなにがしたかったのか、考えても答えは出ずに套矢は途方に暮れたようにがしがしと頭を掻いた。
「・・・ん?」
右の手のひらに違和感を覚え、套矢は握りしめていたその手をそっと開いた。ころん、と転がるおよそ4センチくらいのゴム人形が、赤い瞳を向けている。
「なんだこれ?“あいつ”が?」
首をひねり、手のひらの人形を観察する。黒い体、大きな翼、鋭い爪、長い尾。
こんなのが奇襲をかけてきたら、いくら河拿とはいえどひとたまりもないだろう。
「・・・これでいいか。」
ゴム人形をポケットに突っ込み、部屋の扉に手をかける。廊下の先に見慣れた背中を見つけ、套矢は声を張り上げた。
「父さん!いいところに・・・。」
***
「これが?」
小さなゴム人形をつまみあげ、くるくると回しながら耕焔が眉をひそめる。こくりと頷いた套矢に、訝しげな声が向けられた。
「套矢の・・・“あいつ”の趣味か?」
「多分。気が付いたら持ってたんです。丁度良いと思って。」
「ふん、“あいつ”も案外子どもっぽいところがあるんだな。まあ良いだろう。これで作れ。」
「了解。」
投げて返されたゴム人形を受けとめ、套矢は廊下の奥に消えてゆく背中を見送った。
「・・・子どもっぽい、ねえ。」
そうひとりごちて、手のひらの黒いドラゴンを見やる。駄菓子のおまけについてくるような、ちゃちな造りのゴム人形。
こんなものを二十歳になった今でも大事に持っているのだから、否定はできない。
「・・・確かに。」
ふふ、と笑みを漏らして人形をポケットに仕舞う。
そうして廊下を歩きだす套矢を、「もうひとつの人格」もじっと見つめていた。
ポケットの中の、確かな存在を感じていた。
これが、この黒き異形が、俺から兄さんに、そして朝奈に向けた、最後のメッセージ。
どうか、気付いて。 そして―・・・
どうか、たすけて。