1.

広い病院の待合室に、一人の男の姿があった。
すらりと高い背丈に、端正な顔立ち。気だるそうな雰囲気も合わせて、その男は周囲の女性の視線を集めるには十分な存在感を放っていた。
こつ、こつ、と音を立てて二つの足音が男に近付く。音の方に視線を送り、男はゆっくりと腰をあげた。
「お久しぶり、所長さん。套矢も。」
「ああ。急に呼びだしてしまって悪かったね、カヤト。」
祷葵が労いの言葉をかけると、カヤトはいいえ、と首をふった。

病院内の喫茶店に場所を移し、コーヒーの湯気が漂う中で、祷葵はゆっくりと口を開く。
「耕焔の様子はどうだ?」
「やっぱ、不治の病は変わらないって。でも、きちんと治療と闘病を続けていればそれなりに長生きできるらしいよ。ほんっと、しぶといというかなんというか。」
呆れたように肩をすくめるカヤトの口調は、どこか嬉しそうだった。そうか、とだけ言い祷葵はコーヒーをすする。その隣で、套矢が率直な疑問をカヤトにぶつけた。
「・・・そういえば、カヤト。あの日一体どこに行ってたの?ケータイにも出ないし、父さんもすげー心配してたんだけど。」
「・・・ん?・・・うーん・・・。」
言いにくそうに言葉を濁しながら、カヤトは祷葵と套矢の顔を交互に見やる。そして、さもおかしそうにくすくす笑い出した。訝しげに眉をひそめる兄弟をなだめるように笑いながら口を開く。
「ごめんごめん。やっぱ所長さんと套矢って、こうやって並んでるとこ見ると似てるよね。ホンモノの兄弟なんだなぁ。・・・俺みたいに、作られた偽物の兄弟じゃなくてさ。」
悲しげに目を伏せ、カヤトが自嘲気味に続ける。
「・・・俺さ。套矢の兄ちゃん役やらされるためだけに貰われてきたって、ずっと親父に言われ続けて。なんつーか、すっごい悔しかったんだよね。しかも、当の本人は全然俺に懐いてくれないし。
だから、親父に気に入られたくて、がむしゃらにがんばって。・・・自分の彼女まで殺してさ。バカみたいだよ、ほんと。」
眉をひそめ、目を閉じるカヤトを、祷葵も套矢もただただ無言で見つめていた。
まるで贖罪するかのように、カヤトはぽつりぽつりと話しを続ける。
「・・・今思えば、こんな俺を真っ直ぐに愛してくれたのって、理子だけだった。だから、所長さんが理子のクローンを作り始めたって聞いた時、正直嬉しかったよ。また理子に会えるんだって思ってさ。・・・だけど、実際に会ってみて分かったよ。やっぱり、理子はもうどこにもいない。俺はもう二度と、理子には会えないんだって。・・・そんで、あの日はずっと傷心してた。」
「・・・ずっと?ケータイにも出ずに?」
「ケータイ捨てちゃったもん。」
あっけらかんとして言うカヤトに、套矢は呆れた様な溜息をついた。その隣で、祷葵がくくく、と声を押し殺しながら肩を震わせる。つられて、套矢とカヤトも同時に笑い声をあげた。
ひとしきり笑ったあと、カヤトはふと真剣な表情になる。そして、祷葵の顔を真正面から見すえた。
「・・・俺が理子にしたこと、絶対に許されることじゃないのはわかってる。・・・だけど、だからこそ、これからは真剣に生きて行こうと思う。あの世に行った時に、理子に釣り合うような男になれるように。」
「ああ。良い心がけだ。・・・確かに、お前のしたことは許されることじゃない。しかし、私たちはもう、お前を恨んでもいない。」
え?とカヤトが声をあげる。柔和な笑みを浮かべて、祷葵はカヤトを呼んだ本当の理由を話した。
「それで本題なんだが・・・。カヤト、うちの研究所で働く気はないか?耕焔が入院している間の、少しの期間でも構わない。うちも今、少しでも人手が欲しいところなんだ。」
「・・・いいの?本当に?俺なんかが?」
目を見開いて、カヤトは矢継ぎ早に質問を繰り出す。ああ、もちろん。と言葉を返すとカヤトの顔に満面の笑顔が浮かんだ。ふふ、と微笑んだあと、祷葵は意地の悪そうな笑みを浮かべる。
「ただし、条件がある。瑞煕に手をだしたらクビだ。」
「うっ・・・。だ、大丈夫だって!もうキッパリスッパリ振られてるし。」
「なんだ、もう手をだしていたのか。じゃあクビだ。」
「えっ、ちょっ、ごめんごめん!許してお願い!」
慌てて手を合わせるカヤトを見て套矢が笑い声をあげる。テーブルの上で、深い色のコーヒーが小さな波紋を作った。

喫茶店を後にすると、辺りは大分薄暗くなっていた。手に持っていた紙袋を祷葵に差し出し、カヤトが笑う。
「所長さん、これ。理子・・・じゃないや、瑞煕の入院見舞い。・・・怪我、まだ良くならないの?」
心配そうに眉をひそめるカヤトに、祷葵は笑いながら言葉を返す。
「安心しろ。ああ見えてなかなか丈夫だからな。怪我も随分良くなっている。もうじき退院だ。」
その言葉に、カヤトは胸をなでおろした。安堵の表情で笑うその顔に、冷徹な青年の面影はもう無い。
それじゃあ、また。と頭を下げてカヤトは病院を後にした。外に出ると同時に、身に沁みるような寒さが襲う。白い息をひとつ吐いて、目の前を交差する人の波に紛れてカヤトは夜の街に足を踏み出した。
軽快なクリスマスソングが道行く人々の耳を楽しませる。色とりどりのイルミネーションで飾りつけられ、街はすっかり平和で能天気な喧騒で満ち溢れていた。

***

クローゼットの前で、片手に白いニット、片手に桃色のセーターを持って瑞煕が真剣な表情を浮かべている。交互に自分の体に合わせては首をひねり、そのままくるりと体を回して後ろにいる朝奈に声をかける。
「・・・どっちが良いかなあ?」
「うーん・・・あたし的には白かな。瑞煕ちゃん、やっぱ白が似合うよ。」
「本当?じゃあ、こっちにする。」
えへへ、と幸せそうな笑顔を浮かべる瑞煕に、朝奈も同様の笑みを返した。腰かけているベッドの隣をぽんぽんと叩き、おいでと呼ぶと瑞煕はためらいなくそれに従う。
さらさらと流れる、透き通るようなその髪にゆっくりと櫛を通す。ふわりと香るシャンプーの匂いが朝奈の鼻をくすぐった。
「瑞煕ちゃん。デート、楽しんでおいでね。報告待ってるから。」
「うん。朝奈さんも。」
「あ、あたしは別に、そんなんじゃ・・・!」
髪を梳く手が止まる。瑞煕が振り返ると、頬を赤らめて目を伏せる朝奈の姿があった。まるで少女のようなその恥じらい方に、瑞煕が思わず「可愛い」と言って笑うと、耳まで赤くした朝奈がもう、と口を尖らせる。そして、すぐにその表情は笑顔へと変わった。

丁寧に結わえられた髪を揺らし、白いニットに身を包み、瑞煕は浮かれた街へと足を踏み入れる。眼前に広がる、豪華に飾りつけられた商店街。明るいイルミネーションが、暗くなった空を照らしている。
商店街の入り口で、瑞煕は辺りを見渡した。溢れかえるような人混みの向こうに、誰かを待っているような一人の少年の姿がある。顔をぱぁっと輝かせ、瑞煕はその少年に駆け寄った。
「鴕久地くん!」
その声に顔を上げ、閨登も満面の笑みを浮かべる。待った?と瑞煕が問うと、閨登は否定の言葉を口にしながら首を横に振った。顔を見合わせ、二人は同時に照れ笑いのような表情になる。
「怪我は、もう良いの?もうどこも痛いところとか無い?」
歩きながら閨登が尋ねると、瑞煕はうん、と笑顔でうなずいて両手でガッツポーズを作って見せた。
「もう、すっかりこの通り。」
「良かった・・・。河拿さんが入院したときは、本当に心臓が止まるかと思ったよ。」
安心したように息を吐く閨登を見て、瑞煕もくすくすと笑い声をあげる。

2.

「こんなに早く良くなったのも、鴕久地くんのお父さんのおかげ。本当に、良いお医者さまだね。」
「・・・そう、かな?」
「うん。鴕久地くんのお父さんには、本当にお世話になりました。・・・いろいろ、と。」
「・・・うん?」
訝しげに閨登が聞き返すと、瑞煕はふふ、と笑い声をあげた。

歩みを進める二人の前に、やがて見上げるように背の高いクリスマスツリーがその姿を現した。商店街の中庭として確保されたそのスペースは、店の灯りもぼんやりとしか届かない。
闇の中で、イルミネーションで飾られたクリスマスツリーだけが圧倒的な存在感を放っている。はじめて見るその光景に、瑞煕の顔が輝いた。
「綺麗・・・。」
見開かれた大きな瞳に、ツリーの光がいっぱいいっぱいに映り込む。その横顔を、閨登は愛おしそうな瞳で見つめた。
この無邪気な瞳に、もっともっと色んなものを見せてあげようと、そう誓いながら。
「・・・ねえ、河拿さん。約束、覚えてる?」
閨登がそう問いかけると、瑞煕は満面の笑みで、ツリーの興奮そのままに勢いよくうなずく。
異形との戦いへ赴く瑞煕を心配した、閨登と交わした約束。絶対に無茶はしないこと。すべてが終わったら、その後―・・・
「・・・あ。」
続きを思い出した瑞煕の顔がみるみる紅潮する。湯気が立ち昇るのではないかと思うほど全身が熱を放ち、心臓が激しく脈打つ。
どうして今まで気付きもしなかったのか。閨登の隣にいることに、今更になって緊張を覚え瑞煕の頭が真っ白になった。
動揺を悟られないようにと意識すればするほど、瑞煕はどんどん挙動不審な動きを積み重ねてゆく。そんな少女の肩を掴んでぐい、と自分の方を向かせ、閨登はその大きな瞳を真正面から見つめた。
「河拿さん。」
「はっ、はい!」
名前を呼ぶと、瑞煕の体がビクン、と大きく跳ねた。真っ赤に熟れた白い肌。見開かれた瞳は潤み、閨登を真っ直ぐに見上げている。自分の顔が熱くなるのを感じながら、閨登は口を開いた。
「・・・河拿さん、好きです。ずっと、そばにいてください。・・・僕と、付き合ってください。」
大切に、しっかりと、紡がれた言葉。瑞煕の胸の中で、それは心地よい熱となる。
こみ上げる幸福感に、瑞煕の瞳から温かい雫が溢れた。小さくうなずくと、それは両の瞳からぱたぱたとこぼれ落ちる。
「・・・はい。よろしく、お願いします。」

クリスマスツリーが、幸せそうな恋人たちを祝福するように光を放つ。
少女の笑顔は、そんなイルミネーションにも負けないくらい輝いていた。

***

「うわああやっぱクリスマスだねえ!こんなのはじめて見たよ。」
ガラスの外に目を向けた朝奈が興奮気味に目を見開く。その視線の先を追って、祷葵もふふ、と笑みを漏らした。
眼下に広がる夜景は、そのひとつひとつが幸せな輝きを放っている。チカチカと色を変えるイルミネーションやクリスマスの飾りが、夜景に華を添えていた。
照明の控えめな店内に、食器の擦れる音が小さく響く。丸いテーブルの中心で小さなキャンドルの火が揺れている。
透明感のある液体が注がれた細長いグラスを手元に置き、キャンドルを挟んで祷葵と朝奈は向かい合って座っていた。
「・・・この街って、こんなに綺麗だったんだね。なんだか、今までのことが全部夢だったような不思議な気分になるよ。」
「ああ、そうだな。・・・でも、夢じゃない。あの戦いだって、ほんの2週間ちょっと前の話だ。」
眼前に広がる夜景を眺めながら、祷葵がぽつりと呟く。しかし、その表情は穏やかだった。ふふん、と得意げに朝奈が笑う。
「どうよ、あたしがいて助かったでしょ?」
「ああ、本当に助かった。朝奈がいなければ、今の私は無い。耕焔との決着もつけられなかった。本当に感謝している。・・・ありがとう、朝奈。」
「・・・っなによ。ずいぶん、素直じゃん・・・。」
柔和な笑みで真っ直ぐな言葉を向けられ、朝奈は頬を赤らめて目を逸らした。ぼんやりと揺れるキャンドルの灯りが、そんな彼女の顔に淡い影を落としている。
こほん、と小さな咳払いが聞こえ、朝奈は視線を上げる。オレンジ色に揺れる灯りのせいか、祷葵の顔も少し紅潮して見えた。
「・・・朝奈。受け取って欲しいものがある。」
そう言って祷葵は何かを取り出す。きょとん、として朝奈は祷葵の手元に注目した。
コトリと音を立ててテーブルに置かれる、小さな藍色の箱。心臓がどくんと跳ねあがり朝奈は息を飲んだ。
祷葵の指が、ゆっくりと箱のふたを開ける。白いクッションで守られた銀色のリングが光を受けて輝いた。
目を見開き、朝奈は震える声をあげる。
「・・・これって・・・。」
真っ直ぐ見つめてくる薄茶色の瞳に、祷葵は照れくさそうな笑みを返した。
何年間もずっと、渡せずにいた指輪。今までずっと当たり前のように一緒にいた女性に、これからもずっと当たり前に一緒にいてもらうための、誓約の指輪。
いつからこんな気持ちを抱いていたのかなんて、覚えていない。覚えていないほど、ずっとずっと遥か昔からだったのかもしれない。
「・・・朝奈。私と、結婚してくれないか。」
その一言が紡がれると、大きく見開かれた朝奈の瞳から大粒の涙があふれ出した。
ぽろぽろと透明な雫をこぼし、朝奈は震える唇を開く。
「・・・夢・・・、なのかなあ?」
「夢じゃないさ。」
笑いながら祷葵が否定すると、朝奈はようやく満面の笑みを浮かべた。
吸い込まれそうなほど暗い夜空から、白いかけらが舞い落ちる。星空のような街に、幸せそうな声が溢れる。
華やかで、騒がしくて、穏やかな夜がゆっくりと更けていった。

***

「・・・うしっ!」
一枚の写真立てを棚の上に並べ、黒髪の青年は満足そうにうなずく。温かい日ざしに照らされた写真の中で、白衣を着た男女が太陽のような笑顔を向けていた。
磨き上げられた銀色のプレートと、真っ白な建物の前で、思い思いのポーズをとっている。
その写真立ての横で、白い小さなドラゴンが愛くるしい表情を浮かべていた。

第21話 はじまりの夜

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