1.

売店の奥に和室が続いている。どうやらここはちょっとした居住スペースになっているらしい。
その和室に身を寄せ合うようにして数名の中年女性が集まっていた。いずれも、遷己には見覚えのある顔ばかりだ。血塗れになった遷己と瑞煕が和室に足を踏み入れると、中年女性が口ぐちに悲鳴をあげて遷己のまわりに集まってきた。
「ちょっと河拿くん!どうしたの!?」
「久江さん救急箱!救急箱とってー!!」
ちょっと待ってー、と返事を返して仲野が和室の奥に消えてゆく。遷己を畳の上に座らせて、瑞煕もやっと一息ついた。集まった女性のうちの一人が瑞煕を見やり、労わるように背中をなでる。
「あなたはどちらさん?遷己くんの彼女?」
遷己と瑞煕が同時に首を横に振る。「妹です」と遷己が一言告げ、瑞煕はぺこりと頭を下げる。
「はじめまして。妹の瑞煕、です。兄が、いつもお世話になっています。」
たどたどしいながらも敬語をつなげると、女性たちの間で歓声のようなざわめきがあがった。代わる代わる瑞煕の頭をなでたり肩をなでたり、まるで犬や猫を可愛いがるような手つきで少女を翻弄する。
「そういえば河拿くん、妹がいるって言ってた~!」
「やー可愛い!うちの娘に欲しいわぁ。」
べたべたと体中を触られ、瑞煕は困惑しながらされるがままになっていた。あの、えっと、などと言葉を探していると、救急箱を抱えた仲野が彼女たちを制する。
「ほーら!怪我人をあんまりいじめないの!」
「だって久江さん、この子すっごい可愛いんだもん。お人形さんみたい。遷己くんも妹ちゃんが可愛くて仕方ないでしょ?」
女性にそう問われ、息も絶え絶えだった遷己がキリッと顔をあげて「可愛いです」と同意する。やっぱりー!と声を揃えて盛り上がる女性たちを仲野がなだめ、ようやく怪我の手当てが行われた。

遷己の白衣を脱がせ、中に着ていたシャツも脱ぐとその傷口があらわになった。右肩がパックリと割れ、赤黒くてらてらと光っている。ちょっと沁みるよ、と一言置くと仲野は傷口を水で洗い流して消毒していく。
「いっ・・・!・・・っ!」
左手をぎゅっと握りしめ、遷己が激痛に顔をしかめる。テキパキとガーゼを乗せ、包帯で傷口を固定してゆく仲野を、女性たちは感嘆の声をあげながら見守っていた。
「さっすが久江さん。なんでも出来るのねー。」
「こんなの応急処置よ。あとでちゃんと病院で治療してもらわないとね。さ、次は瑞煕ちゃんの番だよ。」
そう言って仲野は瑞煕の白衣を脱がしてゆく。突然のことに瑞煕は目を白黒させた。顔を真っ赤にしておろおろとしながらも小さく抵抗する。
「え、あ、あの・・・!」
「大丈夫、おばちゃんだけだから恥ずかしくないって。お兄ちゃんには後ろ向いててもらうし。」
ねっ、と仲野に振り向きざまに笑顔を向けられ、遷己は慌てて瑞煕に背を向ける。それならば、と小さくうなずいて瑞煕は着ていたニットを脱いだ。白い肌に点々とついた傷を、仲野がひとつひとつ治療していく。その気配を背後で感じながら、遷己は瑞煕たちに背を向けたまま口を開いた。
「・・・そういえば、何でみんなここに集まってるんですか?他の人たちはほとんど避難してるのに。」
遷己の背後でいやあ、とかそうねえ、とかまとまりのない声があがる。ざわざわと繰り広げられるその話をまとめ、口を開いたのは仲野だった。

「・・・あたしたち、逃げ遅れちゃったのよ。大学の子たちがみんな避難するのを見届けてたら、もう街中にはあの変なのがうじゃうじゃいたでしょう?だから、うちのおばあちゃんがやってるこの店借りて、ここに隠れてたのよ。そしたら公園の方から人が来るからびっくりして!見てみたら遷己ちゃんだったから慌てて迎えにいったのよー。もーおばちゃん寿命縮んだわぁ。」
仲野の話に、ホントよねえ、と周囲から同意の声があがる。大学・・・今日、遷己はバイトのシフトが入っていなかったため難を逃れたものの、いつも通り出勤していた仲野たちは異形の襲撃を直に受けていたのだろう。怖かったわねぇ、と明るく笑い合う女性たちだったがその手はしっかりとお互いを繋ぎとめている。ふ、と頭に一人の人物の姿が浮かんで、遷己はみんなに背を向けたまま仲野に二つ目の問いを投げかける。
「・・・そういえば、暁良の姿見ませんでした?無事に避難してるんなら良いんだけど・・・。」
救急箱を片付けながら、仲野が暁良ちゃん?と聞き返す。ニットと白衣を着なおしながら、瑞煕も仲野の顔に注目して話の続きを待った。
「大学には来てたんだけど、みんなを避難させるときに暁良ちゃんの姿は見なかったねえ。あの子のことだから、多分どこかで無事だとは思うんだけどねえ。」
心配そうに仲野が眉をひそめる。遷己もこの数カ月で、暁良が冷静な判断力を持ち合わせた、年相応に賢い青年であるということは知っていた。あの朝奈の弟でもあるのだ、簡単にやられもしないだろう。しかし、あの朝奈の弟だからこそ心配だというところもある。
一抹の不安を抱えながら遷己が女性たちに向き直ったその時、売店の外で聞きなれた、不快な声があがった。天地を揺らすような大声で、しばしの休息に安堵していた遷己と瑞煕を再び戦場へ引きずり出そうとしている。
遷己と瑞煕は真剣な面持ちで顔を見合わせると、同時にゆっくりとうなずいた。靴を履いて立ち上がり、悲鳴をあげながら怯えている女性たちに向き直る。
「・・・傷の手当て、ありがとうございました。仲野さんたちはここにいてください。絶対、外に出ちゃだめですよ。」
ひとりひとりの顔を見渡して遷己が念を押すと、仲野が驚いたように目を丸くして声をあげる。
「ちょっと、あんたたちどこに行くつもりだい?そんな怪我で動き回ると危ないよ!」
そうよそうよ、と周りも同調する。仲野の言っていることは最もであったが、それでもここに居座るわけにはいかない。四年前のあの仇に、とどめを刺しにいかなければいけないのだ。
大丈夫です、と言う代わりに遷己は仲野たちに満面の笑みを見せる。瑞煕もにこりと微笑んで軽く頭を下げた。仲野たちの制止の声を振り切って、遷己と瑞煕は売店の外に飛び出す。
「遷己ちゃん!瑞煕ちゃん!」
背後から自分たちを呼ぶ、悲痛な叫び声がいつまでも響く。それでも二人は振り返らなかった。走って走って、公園の奥を目指す。やがて木々に囲まれた広場の中心に、黒い影がその姿を現した。

2.

ゆっくりと、慎重に異形に近付く。不気味なほど静かだ。上空で白き異形と黒き異形が交戦している声が、やけに遠くに聞こえる。ガンガンと頭を鳴らす鼓動と、体にまとわりつく緊張感。ピクリとも動かないその巨体は、もう絶命しているのだろうか。
遷己と瑞煕が、各々の片腕を変形させる。武器を構え、異形の顔を覗き込むようにそっと回り込む遷己の後ろから、瑞煕もいつでも飛び出せるように体を屈めて続く。
靴底がじゃり、と土を蹴った。その瞬間、

グオオオォォォ・・・!!

低く唸りながら、地に伏していた異形が目にも止まらぬ速さで鋭い爪を振りあげる。すかさず遷己の左腕から乾いた破裂音が響く。それと同時にひゅんっ、と刃がしなる音が聞こえ、遷己は真横に跳んで異形と距離をとり、再び左腕を掲げた。瑞煕は振りあげた異形の腕を深く切りつけると、すぐさま駆けだして異形から離れる。
ひとまずは異形の攻撃をかわせたようだ。遷己が安堵した瞬間、その背中に鈍い衝撃が走った。
「っ・・・!?」
状況を把握する前に地面に押し倒される。上からぎゅうぎゅうに押さえこまれ、息がつまる。肩に喰い込む爪は、あの巨大な異形のものに比べれば随分可愛いものだったが、それでも負傷した遷己の肩には十分だった。包帯の下から新たな鮮血がにじみ、遷己の顔が歪む。
「遷己兄さ・・・!」
駆けだそうとした瑞煕の声が、悲鳴に変わる。顔を上げてみやると、瑞煕の両肩を小型の異形が二匹がかりで押さえつけている。突然のことに成す術もなく、瑞煕も遷己と同じように地に伏した。
「お前・・・卑怯だぞ・・・!」
遷己が憎々しげに黒き巨体を睨みあげる。先ほど売店の中で聞いた異形の声は、仲間を集めるための、そして遷己たちをおびき出すための遠吠えだったのだろう。巨大な異形は、怒りで言葉を忘れているのか、低い唸り声を繰り返しながら遷己を睨み返している。
遷己の視界の隅で、白い刃が煌めいた。同時に異形が短く吠え、瑞煕に視線を向ける。
体をよじり、己を地面へ繋ぎとめていた楔を切り捨て、体勢を立て直した瑞煕の下に新たな小型の異形が向かう。体がふっと軽くなったと同時に、遷己はバネのように上体を起こした。
「瑞煕!」
背後に迫った危機を知らせようと、遷己は声を張り上げて妹の名を呼ぶ。右腕を大きく降りかぶりながら瑞煕が振り返る。間一髪、異形の魔の手は瑞煕に伸びることなく力を失った。
瑞煕の足元に、黒い亡骸が三つ無造作に転がっている。その亡骸を見やり、黒き異形が再び大きく咆哮した。仲間の死を憐れんでいるのだろうか?次の瞬間、その真意が目を疑うような形で現れた。
「なっ・・・!」
上空を見上げ、遷己が絶句する。瑞煕も同様、驚きのあまり言葉も出ないようだった。
小型の異形が、十数匹、いや、数十匹と群れをなして二人の頭上に、この公園の上空へと集まってくる。それを追いかけるように、八匹の白き異形が姿を現す。この町に蔓延る異形たちが、すべてこの公園内に集まっている。それは、まるで現実味をおびない異様な光景だった。
異形たちが、口ぐちに不快な鳴き声をあげながら遷己と瑞煕に襲いかかる。左腕を掲げ、ひたすらに異形を撃ち落としていく遷己の背中に、鋭い痛みと衝撃が走った。くぐもった声をあげて遷己がその場にひざをつく。
後ろを振り返らなくてもわかる。この痛みは、あの四年前の異形の爪の味だ。ふらつく遷己の頭上に、再び巨大な影が落とされる。
「兄さん!」
すかさず、瑞煕がその巨体に切りかかる。小型の異形たちに四方から妨害されながらも、その白い刃は異形の腹部へ深々と埋め込まれた。そのまま、瑞煕は異形の腹を真横に引き裂く。一文字に開かれた異形の腹から白い刃が引き抜かれた。耳をつんざくような叫び声があがる。小型の異形がバタバタと騒ぎ立て、痛みに暴れる巨体から遠ざかった。

憎悪に満ち満ちた赤い瞳で、異形が瑞煕を睨みつける。容赦なく叩きつけられた鋭い爪が瑞煕の横腹をとらえる。短い悲鳴をあげて、その小柄な体が地面に打ち付けられた。
「・・・みず、き・・・!」
背中に受けた傷が邪魔をして、上体を起こすことすら許されず遷己は地に這ったまま声をあげた。しかし、弱々しく絞り出されたその声では、異形の注意も引けはしない。
左腕を異形へ向ける。ガクガクと震えて定まらない銃口を、右腕で支える。負傷した肩が、背中が、激しい痛みを訴えた。
白くぼやける視界の中で、黒い大きな影がゆっくりと動いている。その歩みの先に瑞煕がいるのだろう。振りあげたその爪は、瑞煕にとどめを刺すものなのだろう。朦朧とする意識の中、遷己はただ弾丸を異形に撃ち込むことだけを考えていた。冷や汗とも脂汗ともつかぬものが額を流れる。
「・・・瑞煕・・・!」
声になっているのかすら怪しい、かすれた声で遷己はその名を呼び続ける。異形の爪が振り下ろされる。その爪が風を切る音も、瑞煕の悲鳴も、遷己にはもう何も聞こえなかった。
やめろ、やめろ、やめろ―・・・
懇願するように、遷己は声にならない声を上げ続ける。激しくぶれ続ける銃口が、わずかな変化を示し始めた。
ガチ、ガチ、と音を立てて遷己の左腕が再び形を変える。黒光りする細長い銃口が、その口を大きく開けた。三倍ほどの大きさに膨れ上がったその空洞から放たれる弾丸が、今までとは比べ物にならない威力を誇ることは間違いないだろう。
自身の左腕の変化を知ってか知らずか、遷己が渾身の力を込めて弾を放つ。爆発音のような唸りと共に、放たれた熱が異形の頭部をとらえる。瞬間、その頭部が跡形もなく消し飛んだ。
首から硝煙を立ち上らせながら、異形の巨体はしばらく硬直していた。ぐらりと揺れた体は、そのままバランスを崩してゆっくりと地に横たわる。
異形が絶命したのを見届けて、遷己はその顔に安堵の色を灯すことなく、ゆっくりと瞳を閉じた。力を失った左腕が、元の形を取り戻しながらぱたりと地に落ちる。そのまま、遷己は意識を手放した。

ずきずきと痛む体を押さえながら、瑞煕はゆっくりと上体を起こした。
異形の攻撃を直に受けた腕が、腹部が悲鳴をあげている。かすむ視界に、しんと静まり返った公園が映し出された。
首から上を失くした巨大な亡骸。そしてその奥に、血塗れで横たわっている兄の姿を見つけ、瑞煕はふらつく足を引きずるようにして歩き出した。
「兄・・・さん・・・。」
かすれる声で呼びかけても、遷己はなんの反応も返さない。激痛に顔を歪めながら、それでも瑞煕は歩みを止めなかった。一歩一歩踏み出すたびに、意識が白く霞んでいく。足が鉛のように重たい。
「兄さ・・・。」
遷己に手を伸ばしかけた瑞煕の耳に、一発の乾いた銃声が飛び込んできた。
背後から放たれた弾丸は、瑞煕の体を貫通して公園の草を揺らす。声をあげる暇もなく、瑞煕の体はその場に力なく崩れ落ちた。白衣に空いた丸い穴から、鮮血が溢れだして周囲を赤く染め上げる。
静寂に包まれた公園内に、草を踏む靴音だけが響いていた。

第17話 団欒と弾丸

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