周りの景色が、段々寂れたものへと変化してゆく。背の低い鈍色の建造物が規則正しく並んだそこは、どうやら今は使われていない廃倉庫らしい。
この町にも、こんな退廃的な景色があったのかと、瑞煕は半ば感心にも似た気持ちで歩を進めた。カヤトに指定されたのはこの辺りなのだが、この錆ついた空気と静けさは、人ひとり程の気配なら容易く隠してしまいそうだ。
一際大きな倉庫の前で、瑞煕は足を止める。倉庫の扉がわずかに開いていた。ここだ、と確信すると瑞煕は躊躇いなくその扉に手をかけた。
錆びた重い扉は、焦らしながらゆっくりとその口を開ける。慎重に中を見渡しながら、瑞煕はそっとコンクリートの床を踏んだ。恐る恐る、中央へと歩を進める。
「待ってたよ、理子。」
不意に倉庫の奥から声があがる。ぐるりと視界を回して声の主を探すと、薄暗い影の中から白衣を揺らして一人の男が姿を現した。きっ、と男を睨みつけ、瑞煕は唸るような声をあげた。
「月島・・・カヤト・・・!」
「あ、やっと口きいてくれた。・・・てか理子、顔怖いよ。何でそんなに怒ってるの?」
へらへらとカヤトが笑う。呆れたものだ、この男は自分に後ろめたいことが無いとでも思っているのだろうか。カヤトを睨みつけたまま、瑞煕が口を開く。
「・・・全部聞いた。あなたが、理子に何したのか。」
そこまで聞くと、カヤトは瑞煕に向かって進めていた歩みを止める。そして、大袈裟に肩をすくめて笑ってみせた。
「それでそんなに怒ってるの~?何で、あれは事故じゃん。俺だって可愛い彼女を亡くして傷心なんだからさ、そんなに責めないでよ。」
「・・・ふざけないで。最初から殺すつもりだったくせに。」
カヤトを睨みつける瑞煕の瞳には、確かな憎しみが込められていた。腰に手をあてて、カヤトが首を傾げる。
「所長さんたち、被害妄想強すぎじゃない?それに、理子が死ななきゃあんたはこの世にいない訳だろ。だったら、むしろ俺に感謝するべきじゃない?」
カヤトが言葉を発するたび、瑞煕の中には感謝の念どころかどんどん憎悪が増すばかりだった。怒りを押し殺し、震えた声で瑞煕が問う。
「・・・なんで・・・。あなた達は、祷葵に何の恨みがあるの?」
古斑が、祷葵を追い詰めるために理子と泉を殺したのだ、と朝奈は言った。そこまで徹底的に追い詰める必要がある程の怨恨が両者の間にはあるのかもしれない。
しかし、瑞煕の予想とは裏腹に、カヤトはきょとんとした顔で答えた。
「恨み?別に、所長さんには何の恨みもないよ。俺たちはただ、所長さんの研究内容が欲しいだけ。こんな立派なクローンを作れる程の、所長さんのアタマが欲しいんだよ。」
ぞくり、と瑞煕の背中を冷たいものが撫で上げる。今まで幾度と祷葵の研究を手伝ってはいたが、結局何を研究していたのかは知らされず仕舞いだったのだ。古斑の狙う祷葵の研究内容というのもまた、祷葵自身の口から語られる事はなかった。
そして、気付かなかったのだ。祷葵の研究成果がどこにあったのか。気付かなかったのだ、自分たちが生きた研究内容だったということに。
じり、と瑞煕が後ずさる。明らかに動揺している様子の彼女を見て、カヤトがにやりと不敵な笑みを浮かべた。

「・・・ねぇ、理子。何で俺が理子を呼び出したか分かる?」
ゆっくりと右手を庇う体勢をとりながら、瑞煕はカヤトに視線を這わせた。張り付けられたようなその笑顔は、やはり瑞煕に不快感しかもたらさない。
研究所で、四人に届いた古斑からの宣戦布告。そして、数日前に届いたという一文のメッセージ。カヤトから放たれた一言。それらは全て、「4年前」というひとつの過去に収束する。
「4年前の・・・おさらい。わたしを、殺すの?」
ピリピリとした緊張感が瑞煕の体を締め付ける。指の一本も自由に動かせないような張り詰めた空気の中、不意にカヤトが笑い声を上げた。
「あっははは!理子、所長さんの被害妄想に影響されすぎ。俺は別に理子を殺そうなんて微塵も思ってないってば。そんなことしたらウチの所長に怒られちゃう。
俺はただ、四年前と同じように理子を口説きに来ただけ。殺す殺さない以前に、まずこっちのが先でしょ。」
・・・何を言っているのだこの男は?鋭い眼光でカヤトを睨みつけたまま、瑞煕は眉をひそめた。
カヤトの言葉に信頼を置けるはずもなく、体の緊張感からは未だ解放されないままだ。
やっとの思いで、瑞煕は「どういうこと」と疑問を口にした。喉がカラカラで声がかすれる。張り付けた笑顔のまま、カヤトが一歩踏み出した。瑞煕の体がビクン、と大きく跳ねる。
「だから、そんな警戒しなくていいってば、理子。ねぇ、ウチの研究所においでよ。そうしたらもう所長さんに手を出さない。・・・俺と一緒に来て。」
瑞煕の前に、まるで姫をエスコートするかのような優しさで手が差し伸べられる。カヤトの一挙一動に注意を払いつつ、瑞煕は視線だけ上に向けた。野生動物のように警戒している瑞煕を、愛おしそうに見つめるカヤトの瞳に、一瞬頭の奥底が揺さぶられるような感覚に陥った。
カヤトと一緒に古斑研究所へ行けば、祷葵は助かるという。理子ならそれを望むのだろうか。この笑顔を信じるのだろうか。どくどくと心臓が脈打つ。
五か月前、瑞煕の一番古い記憶がふと蘇る。「私の研究内容が古斑の手に渡ったら大変なことになる」、と祷葵は言っていた。それは、瑞煕自身が古斑研究所へ行くことも指しているのだろう。
差し出された手のひらに視線を戻し、瑞煕は大きく首を横に振った。カヤトの誘いに対する拒否と、一瞬躊躇った自分の思考回路を振り払うように大きく。ん?と訝しげにカヤトが唸る。
「わたしは・・・あなたとは一緒に行かない。祷葵のこと、裏切れない。」
「んー?俺と一緒に来たら、所長さんはもう戦わなくていいんだよ。それって、所長さんが一番望んでることでしょ。それを阻止する方が所長さんに対する裏切りじゃないの?理子はまだ所長さんに無理させたいわけ?」
「違う。・・・あなたの言うことが、信用できない。それだけ。」
神経を逆撫でするようなカヤトの言葉を、瑞煕は苛立ちを隠せない口調で突っぱねた。

2.

はぁ、と息を吐いてカヤトは差し出していた手を下ろす。諦めたように瑞煕に背を向け、腰に手をあてて倉庫の天井を仰いだ。そして、ふーっと長い息の後に言葉が吐き出される。
「まぁーたフられちゃった。套矢に怒られちゃうなぁ。」
聞こえてきた名前に、瑞煕の体は自然に反応していた。忘れもしない、1週間前に瑞煕はその名前を確かに耳にしていたのだ。うなされながら何度も祷葵が口にしていた名前。瑞煕の胸がざわざわと騒ぎ出す。
「・・・トウヤって・・・。」
小さく呟いた瑞煕の声を、カヤトは聞き逃さなかったようだ。まるで新しいオモチャを買ってもらった子供のような嬉々とした表情を浮かべて瑞煕の方を振り返る。
「え、所長さんから聞いてないの?もー駄目だなぁ所長さんは。ほんっと何にも話してくれてないんだね。
套矢は、所長さんの弟だよ。でも今は、俺の弟。ついでに言うとウチの所長さん。まー実際研究所を動かしてるのはオヤジだけどね。套矢はお飾りみたいなもんだよ。」
ぽんぽんと無造作に投げ出されるカヤトの言葉は、拾い集めるのだけでも一苦労だった。拾ったところで何一つ理解が追い付かず、瑞煕はただただ硬直する。
祷葵の弟であり、カヤトの弟であり、古斑研究所の所長を務めている男でもある。その3つのピースはどんなに組み合わせようとしてもちぐはぐで上手く噛み合わない。が、そのピースを全て持った男が套矢なのだ。祷葵が涙ながらに呼んでいた存在なのだ。
押し黙って思考を巡らせ、動揺を隠しきれない瑞煕を一瞥してカヤトが満足げに笑う。
「どう、気になる?河拿研究所と古斑研究所の因縁の物語聞きたい?ま、長くなるから続きは研究所で話そうよ。」
またそのパターンか、と瑞煕は眼前の男を睨みつける。瑞煕が食いつく餌をちらつかせて何とか釣り上げようと、古斑研究所へ引っ張ろうと必死なのだ。首を横に振り、瑞煕は怒りと呆れを含んだ声で拒否する。
「・・・聞きたくない。あなたの口からは、何も聞きたくない。」
「じゃあ、誰から聞くの?所長さんは何にも教えてくれないんでしょ。いつまでイイコちゃんしてるの?・・・理子はもっと、自分の探究心と欲求に忠実だったよ。」
なかなか折れない瑞煕に業を煮やしたのか、カヤトが苛立ちを隠せない様子で声を荒げた。負けじと瑞煕も声を張り上げる。胸の真ん中が、ぎゅうと鷲掴みにされるような痛みを訴えた。
「わたしは、理子じゃない!あなたの言う通りには、ならない。」
両者とも鋭い眼光で相手を睨みつける。ふん、と鼻を鳴らしカヤトが瑞煕から顔を背けた。
「はいはい、分かったよ。理子が俺のこと大嫌いなのはよぉーく分かった。さっさと新しいカレシくんのとこに行けば?・・・ま、カレシくんが無事だったらの話だけど。」
ぶっきらぼうに突き放され、瑞煕の目の色が変わる。聞き捨てならない話に、嫌な予感に、瑞煕は全身の血の気が引くのが分かった。カヤトが言う人物に思い当たるのは一人しかいない。恐る恐る、瑞煕は口を開いた。

「・・・どういう、こと?鴕久地くんに・・・何、したの?」
「べっつに。『まだ』何もしてないよ。」
気だるそうに答えるカヤトの言葉が終わるや否や、ひゅっと風を切る音がした。次の瞬間には、カヤトの喉元に白い刀身が真っ直ぐに突きつけられていた。瑞煕の右腕が肩からその原型を手放している。はらはらと舞う埃のような服の繊維が、倉庫内に差し込むわずかな日射しを受けてキラキラと光っていた。
カヤトがごくり、と唾を飲み込む。脈打つように動く喉が刃の切っ先に触れ、チクリと痛んだ。カヤトを見上げる瑞煕の瞳は氷のように冷たい。このままその無防備な喉を切り裂くことも躊躇わない様子だった。怒りを含んだ声で、瑞煕がカヤトを問い詰める。
「答えて。鴕久地くんは、どこ?何をするつもり?」
「さ、さあな。俺だってエスパーじゃないんだから、アイツの行き先までは知らないよ。ただ、今日いっぺんに放たれたウチの子たちが、そろそろ町に着くころだからね。早くしないと本当に手遅れになっちゃうかもよ?」
突きつけられた刃に喉が当たらないよう、細心の注意を払ってカヤトは言葉を絞りだす。息苦しそうに震えるその声は、先ほどまでの勢いなど微塵も感じられない。ゆっくりと刀身を下げ、瑞煕はカヤトを睨みつけたまま数歩後ずさる。解放された喉から大量の空気が溢れ、カヤトはその場に膝をつき盛大に咳き込んだ。そんなカヤトの様子を、瑞煕は冷たい瞳で見下ろす。
「・・・最低。」
軽蔑しきった表情で、冷めきった声色で、瑞煕はそう吐き捨てるとカヤトに背を向ける。そのまま、瑞煕の足は倉庫の出口に向かって駆けだしていた。コンクリートを蹴る音が段々と遠ざかってゆく。力なく立ち上がり、カヤトは瑞煕が出て行った方を見つめる。
「最低か・・・そうかもなあ。」
自嘲気味に呟き、カヤトは乾いた笑い声を上げる。重たくうな垂れる頭を支えるように右の手のひらに顔を埋めると、やがてじんわりと温かいものが指を濡らした。
走り去った瑞煕の背中が、理子と被って見えた。背中だけではない。瑞煕から放たれた言葉が、仕草が、表情が、すべて理子に変換されてカヤトの脳内に残る。
ただ、カヤトの記憶の中の理子と違うのは、瑞煕はついに一度もカヤトに笑顔を見せなかったことだ。
四年前の記憶を手繰り寄せ、カヤトは理子の笑顔を思い出す。
告白した時に見せた、はにかんだような理子の笑顔。一緒にいる時に見せる、幸せそうな理子の笑顔。
自分が何のために理子に近付いたのかを忘れさせるような、そんな幸福感をカヤトは確かに感じていたのだ。
「理子・・・お前に会いたいよ。」
埃っぽい暗い天井を見上げ、カヤトはぽつりと呟く。理子の移し身である瑞煕に真っ向から拒絶され、ようやく実感が湧く。

理子は、もういない。

体は脱力しきり、心はぽっかり穴があいてしまったような虚無感に襲われる。次の行動に移ろう、という急かすような気持ちも、その穴から次々と抜け落ちてやがて空っぽになる。
「もう・・・どうでもいいや。・・・どうでも。」
力ない足取りで、カヤトは倉庫の出口へと向かう。それを阻止するかのように、白衣の中で携帯電話が唸りをあげて震えた。
胸ポケットから携帯電話を取り出すと、着信相手すら確認せずにそのまま肩越しに背中側へ放り投げる。カヤトの背後でカシャン、と携帯電話がコンクリートに叩きつけられる音がした。

悲鳴の様なその音に目もくれず、カヤトはそのまま倉庫を後にした。

第14話 理子

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