1.

赤いレンガの建物が眩しいくらいの日ざしを浴びてたたずんでいる。
11月だというのに、まるで真夏日のような青空に誘われてグラウンドやテニスコートは学生たちで溢れている。
瑞煕がここ、遠野馬高校に通い始めてから2カ月が経った。初めて経験する高校行事である球技大会があと2週間後に迫っていることもあり、学校全体が独特の熱気に包まれている。
ここ最近は古斑の刺客も姿を現さず、瑞煕も高校生活に専念できているようだ。祷葵の話だと、古斑があの異形を送り込んでくるのは数カ月に一度くらいの頻度らしい。拳銃ひとつで落とせるような固体は未だ研究所に姿を見せるが、以前のような巨大な影はあの日以来襲撃しては来ない。そろそろだ、と祷葵は言うが瑞煕はそれよりも目の前の球技大会で頭がいっぱいだった。
初めてのクラスメイト、初めての友達、初めての高校行事。秋晴れの日射しに照らされたグラウンドも、瑞煕にはスポットライトで輝くステージのように見えた。
球技大会の種目はバレーボール。クラス対抗戦を男女分かれて行う。
練習場は体育館とグラウンドをローテーションして使用する決まりになっている。瑞煕たちのクラスはこの日、授業全行程が終わった放課後にグラウンド使用の許可を得ていた。
時計の針が指し示す午後3時半。鳴りだしたチャイムに合わせ、担任教師からホームルーム終了の言葉が告げられる。それと同時に、教室中が火がついたように騒がしくなった。
皆、この後に控えている球技大会の練習に意欲を示しているようだ。無論、瑞煕もその中の一人。慣れない手つきで慌ただしく机の中のものを鞄に詰め込んだ。
「みんな気合い入ってるね。頑張ってね。」
隣で同じように机を片付けていた閨登が困ったように笑っている。運動神経に恵まれている閨登だが、本人はそこまで運動が好きではないことをこの2カ月で瑞煕は知っていた。笑顔でガッツポーズを返し、「鴕久地くんも」と口を動かす。閨登が机を片付け終わるのを待たずして、クラスの男子達が群れをなして机の周りに集まってきた。
「鴕久地早く早く!次の球技大会の勝敗はお前にかかってるんだからな!」
「ちょっと、まだ片づけてな・・・」
「いいから行くぞ!早くしないと時間なくなる!」
閨登の言葉を遮り、男子生徒がほぼ強引にその腕をつかむ。他の生徒が机上に残った教科書や体操着を回収し、あっという間に閨登は連行されていった。呆気にとられた瑞煕がその光景を見ていると背後から気合いの入った声が聞こえてきた。
「河拿さん、準備できた?うちらも行くよっ!」
背中をぽん、と叩かれ瑞煕も笑顔で頷き席を立った。クラスの女子たちの談笑にリアクションをとりつつ更衣室に向かう。ジャージに着替え、グラウンドに出ると肌寒い気温と熱いほどの日射しを感じた。
先に教室を飛び出していった男子たちは皆一様にえんじ色のジャージに身を包み、コート内をせわしなく走り回っていた。無理やり引きずられていった閨登も、真剣な表情でボールを追いかけている。普段の柔和な表情からは想像つかないほどの鋭い視線に、瑞煕は胸がきゅう、と締め付けられるような感覚を覚えた。よっぽど日射しが強いのだろう、身体が一段と火照っている。その熱を冷ますように、冷たい風を切って瑞煕はクラスメイトの後を追いかけた。

11月の日暮れは早い。3時間も練習すると、辺りはずいぶんと暗くなっていた。グラウンドを囲むように設置された照明が一斉に点灯する。眩しいほどの灯りに照らされ、2年A組の生徒たちはやっとで今の時刻を把握したようだった。見渡すと、自分たちの他に練習しているクラスはいない。
「マジで?もうそんな時間?」
「うちらもそろそろ片づけなきゃ。」
息を荒げながら、瑞煕も空を見上げた。眩しいほどの照明で星も月も見えず、普段の夕刻よりもっと暗く、遅い時刻のように感じる。ざわざわと周りから不安げな声があがった。
「どうしよう、今何時?塾に行かなきゃ。」
「私もバイトが・・・。ごめん、片づけ誰かよろしく!」
一人、二人と申し訳なさそうに手を合わせ走り去ってゆく。ちらり、と男子の方を見るとじゃんけんで片づけ役を決めているようだ。残った女子に向き直り、その内の一人の袖をくいくい、と引っ張る。
「ん?どうしたの河拿さん。」
瑞煕はバレーボールを拾い上げると、自分、体育倉庫の順番に指差した。
「えっと、河拿さんが後片付けしてくれるってこと?」
笑顔でこくこくと頷いた。いいの?と申し訳なさそうに尋ねる女子にもう一度頷いて見せる。塾やバイトで忙しいクラスメイトたちの役に立ちたい。その一心だった。
「ごめんね、ありがとう河拿さん!」
「今度なんか奢るから!」
口々にお礼を言って去っていく。その後ろ姿を見送り、瑞煕もコートの後片付けを開始した。先程までの熱気や賑やかさも夜風で冷まされたようだ。身体の汗もひき、秋の肌寒さだけが残った。
両手にボールを抱え、肩にネットをかけてよろめきながら体育倉庫に向かう。倉庫が近付くにつれて、その入り口が閉められているのがわかった。両手がふさがっているこの状況では扉が開けられない。歩を緩めつつ途方にくれていると、後ろから聞きなれた声が聞こえた。
「河拿さん?どうしたの?」
振り返ると、瑞煕と同じようにネットを肩にかけ、ボールを二つ小脇に抱えた閨登が近付いてきた。冷え切った身体に一瞬で熱が戻る。運動した余韻か、心臓が激しく脈打っているのがわかった。
「一人で片づけ?他のみんなは?」
小走りで駆け寄ってきた閨登が瑞煕の隣に並ぶ。黒い大きな瞳が瑞煕の顔を覗き込んだ。瑞煕は両手に抱えたボールを閨登に掲げて見せ、「引き受けた」と口を動かした。
「片づけ引き受けたの?偉いね!」
そう言って満面の笑みを浮かべる。瑞煕も得意げに胸を張り笑顔を返す。「鴕久地くんは?」と口を動かすと、閨登は教室で見せたような困った笑顔を浮かべた。
「僕はじゃんけんで一人負けしちゃったよ。早く終わらせて僕らも帰ろう。待ってて、今開けるから。」
そう言って片手で器用に重たい体育倉庫の引き戸を開ける。閨登の後ろから中を覗き込むと、倉庫内は足元も見えないくらい真っ暗だった。
「真っ暗だね・・・。どこかに電気のスイッチがあるはずだけど。足元気をつけてね。」
閨登の後に続いてゆっくり倉庫内を進む。倉庫の入り口から入り込む微かなグラウンドの照明が段々遠くなっていく。スイッチを探りながら壁つたいに歩くもなかなかそれらしきものは見当たらなかった。
倉庫内はやがてグラウンドの光も届かなくなり、完全な闇で覆われてしまった。申し訳程度に取り付けられている小窓は、外の光を取り入れるにはあまりにも心許ない。
閨登の手がゆっくり壁をつたう音と、床を擦る二人の靴音だけが、倉庫内でやけに大きく響いた。

ふいに、奥の方でガタンと大きな物音があがった。二人同時にピタリと足を止める。
かすかに、何かが動いているような気配がする。張り詰めた緊張感の中、痛いほど激しく脈打つ心臓の音が、頭にガンガンと響いていた。
「・・・今、何か・・・。」
そう閨登が言いかけた瞬間、奥の物陰から何かが勢いよく飛び出してきた。足場の悪い倉庫内をバタン、ガタンと激しい物音をたてて走り回る。とっさに瑞煕は抱えていたボールを落とし、目の前の背中にしがみついた。振り返った閨登が目にしたものは、倉庫の入り口に向かって走り去る小さな影だった。長い尻尾をしなやかに揺らし、四本の足は音もなく倉庫の床を蹴りあげる。
「ねこ・・・?」
その声に、瑞煕はゆっくりと顔を上げる。暗闇の中、閨登と目があった気がした。身体中の力が一気に抜け、二人同時に安堵の息を漏らす。
しかし、再び聞こえてきた物音に、再び場は緊張感に包まれた。ずずず、と何かが擦れる音。嫌な予感に全身がざわつく。何が起こったのか把握する間もなく二人は轟音と衝撃に飲み込まれた。

2.

いきなり聞こえてきた物音に、グラウンドを見回っていた教師は懐中電灯片手に走り出した。まだ残っていた生徒がいたことに驚きと焦りを感じつつ体育倉庫に向かう。
入り口に足を踏み入れようとした瞬間、足元を何かが駆け抜けた。手にしていた電灯で行方を追うと、一匹の猫が慌ててグラウンドから走り去っていくのが見えた。
「なんだ猫か・・・。驚かせやがって。」
深い脱力感が襲う。教師はそのまま重たい引き戸を閉め、直後ガチャリと音を立てて倉庫の鍵がかけられた。

閉ざされた倉庫内はしんと静まり返っていた。倉庫の隅にうず高く積み上げられていたマットがなだれ、一角を白く埋め尽くしている。しばらくの静寂の後、マットの一部がわずかに動いた。微かなうめき声と共にマットがゆっくりと持ち上げられる。
先に上体を起こしたのは閨登だった。両手を床につき、背中でマットを押し上げる。重たいマットが横にずれ、閨登の体がふっと軽くなる。ひんやりした空気が汗ばむ体を冷ました。
「・・・河拿さん、大丈夫?」
腕の間に組み敷く形になっている瑞煕に声をかけた。マットが崩れ落ちてきた瞬間、とっさに瑞煕を腕の中に抱え込んだものの、その後の記憶が途切れてしまっている。体に衝撃が走り、気がついたら床に伏して思うように動けなくなっていた。体から痛みが引くのと同時にぼんやりしていた頭も鮮明になっていく。
閨登に手を引かれ、瑞煕もゆっくりと上体を起こした。ようやく暗闇に慣れた視界に、心配そうな顔の閨登が映る。どこか痛いところは?という閨登の問いに、瑞煕は首を横に振ってこたえた。良かった、と閨登が深く息を吐く。
目を凝らして辺りを見渡すと、崩れたマットの横に電気のスイッチらしきものが見えた。ちょっと待ってて、と瑞煕に声をかけて閨登はスイッチに手を伸ばした。
暗闇に慣れた目に刺すような痛みが走る。手のひらで目をかばいつつ、ゆっくりと光に慣らす。
散乱しているマットとバレーボール。マットに半分埋もれるようにして座っている瑞煕の姿が目に入る。明るくなった倉庫内を閨登は改めて見渡す。自分たちがつたってきた壁を、入り口に向かって視線を辿らせる。こんな入り口から離れた場所にしか電気のスイッチがないのはさすがに不自然だと感じたからだ。
しかし、見渡した壁にはスイッチらしきものは見当たらない。そして、代わりに信じ難い光景が目に飛び込んできた。
「・・・えっ?」
思わず声をあげる。開けたままにしておいたはずの倉庫の扉が閉ざされている。嫌な予感が脳裏をよぎり、閨登は倉庫の扉めがけて走りだした。不思議そうに小首を傾げ、瑞煕もその後を追う。飛びつくような勢いで閨登が扉を横に引く。ガタン、ガタンと大きな音を立てるものの、扉はびくとも動かなかった。
「そんな・・・鍵がかけられてる・・・。」
その言葉に、瑞煕も息を飲んだ。不安で胸がざわつく。力いっぱい扉を叩き、閨登が声を張り上げた。
「すみません!誰かいませんか!?」
しばらく扉を叩き続けても、外からは何の反応も返ってこない。諦めて後ろを見ると、不安に顔を曇らせている瑞煕がいた。
天井付近にとりつけられた窓はあまりにも小さく、人が一人通れるほどの幅はない。しかし、四方にまんべんなく取り付けられているため、この窓から漏れる光に誰かが気付けばいずれ救助が来るだろう。携帯電話なども全て更衣室に置いてきてしまっているため、こちらから助けを呼ぶ方法は見当たらない。
「・・・とりあえず、助けが来るのを待とう。大丈夫、絶対に誰か気付いてくれるよ。」
瑞煕の不安を取り除こうと出来るだけ明るく言う。その言葉に、瑞煕も頷き微笑んだ。
床に散乱したマットの上に並んで腰かける。倉庫内の室温は凍えるほどだ。しかし、外から感じる刺すような寒さとは裏腹に、体の芯から湧き上がる痺れるような熱を瑞煕は感じていた。

どれくらいの時間が経ったのだろう。外の様子も分からず、時計もなく、倉庫の中はまるで時間が止まっているかのような静けさだ。助けがくる気配は未だになく、マットの上で石のようにじっと寒さに耐える。風が吹かないのが唯一の救いと言えるだろう。
二人の間には深い沈黙が流れている。手足の感覚がなくなり、頭は霞がかったようにぼんやりしている。少しでも感覚を取り戻そうと、瑞煕は氷のように冷たくなった両手を擦り合わせた。
「大丈夫?」
隣から聞こえた声に、瑞煕の体温が少し戻る。顔を上げると心配そうな顔の閨登と目が合った。小さくうなずくと、閨登はおもむろに羽織っていたジャージを脱いで瑞煕の肩にかけた。
「良かったら、これ着てて。ごめん、ちょっと汚れてるかもしれないけど。」
そう言って照れたように笑う。瑞煕のより一回り大きいジャージは、あっという間に瑞煕を温もりで包み込んだ。「ありがとう」と口を動かすと、閨登も柔和な笑みを浮かべた。
しかし、半袖一枚になった閨登は見るからに寒そうだった。瑞煕はおもわず手を伸ばし、半袖から伸びた閨登の腕に触れる。心配そうに眉をひそめ、「つめたい」と口を動かす。
「ぼ、僕なら大丈夫だよ。寒さには強いほうだから。」
閨登の顔が少し紅潮しているのがわかった。触れている腕がじんわりと温かくなってゆく。少しためらい、瑞煕は「くっついてもいい?」と口を動かす。うまく読み取れなかったのだろう、閨登が聞き返すのとほぼ同時に瑞煕は腰を上げた。閨登のすぐ隣に移動してぴったりと身体をくっつける。触れ合う肩で、腕で、足で、体温を共有する。火がついたように熱くなった頬を見られたくなくて、瑞煕は体育座りしたひざの間に顔を埋めた。
「・・・ありがとう、河拿さん。」
閨登が声をかけると、俯いたまま瑞煕が小さくうなずく。身体が外から、中から温まっていくのがわかる。
倉庫に閉じ込められているこんな絶望的な状況でも、悲観することなくいられるのは一重に隣で体温を分けてくれているクラスメイトのおかげだろう。
もう一度「ありがとう」と声に出さずに呟き、閨登はゆっくりと目を閉じた。

第5話 秋晴れ

投稿ナビゲーション