乾いた音とともに黒い体に撃ちこまれるそれは、決して致命傷にはなりえないことをこの数分で遷己は悟っていた。
心臓を狙っても、足に弾を撃ち込んでも、異様な生物はすぐに態勢を立て直して遷己に襲いかかってくる。
おまけに相手は巨大な翼をもっていて、空中にも地上にも逃げ場所など無かった。
「・・・ったく、しつっこいんだよ!!」
左手を構え、赤く光る不気味な眼球に狙いを定める。両目とも潰してしまえば、あとはこっちのものだ。
距離をとり、わずかな隙をうかがう。二つの赤い光は遷己を捉えて離さない。的確に動きを追い、先回りしては容赦ない攻撃を繰り出してくる。
対峙する生体の鋭い爪が振り下ろされるたびに商店街の床が割れ、天井が割れ、力なく垂れ下がった電線からは溜息のような火花が漏れていた。
(せめて、一瞬でも奴の動きが止めれたら・・・!)

その瞬間、背後でひゅっ、と風を切る音がした。反射的に身をかがめた遷己の頭上を一抹の風が吹き抜ける。瞬きする間もなく、気がつくと白い刃が禍々しいまでに黒い体を貫いていた。
「瑞煕!?」
激痛にのたうち回る黒き異形の右足にその刀身を肩まで埋め、遷己を守るように立ち塞がっているのは逃げたはずの妹だった。
赤く光る異形の目が瑞煕を捉えた。確かな憎しみを込めて、自身の右足を貫く白い楔を睨みつけている。
(今だ!)左手を掲げ、異形の瞳めがけて一発、二発撃ちこむ。

タァン、タァン

乾いた音とともに、赤い光がひとつ消えた。のけ反って雄叫びをあげ、黒く大きな身体を縦横無尽に叩きつけている。
この異形の次の動向をうかがっているのだろう、瑞煕も肩まで埋めていた楔を外して遷己の隣に並んだ。片目と片足を失い、地面に這いつくばるその生物は明らかに衰弱していた。
「瑞煕・・・なんでお前、戻って・・・。」
妹を危険にさらしたくはない。願わくばあのままほとぼりが冷めるまで逃げきっていて欲しかった。
そんな遷己をよそに、瑞煕は刀身についた異形の体液をひゅっ、と払うとその切っ先を目標へ向ける。
その目には、普段の温厚な彼女からは想像もつかない、鋭い光が宿っていた。
「・・・わかったよ。俺が目を狙うから、瑞煕はもう一回ヤツの動きを止めてくれ。無理はするなよ。」
こくり。異形から目を離さずに瑞煕がうなずく。それを合図に、二人は同時に駆けだした。

態勢を立て直そうとした異形に、白い刀身が襲いかかる。灯りの消えた商店街の中で、それは美しい光を放っていた。
一抹の風とともに異形の翼が片方、弧を描きながら宙を舞った。激しい雄叫びが空気を揺らす。めちゃくちゃに振り下ろされる鋭い爪を、地面に膝をつきながら受け止めた。割れたガラスの破片が皮膚へ突き刺さり、瑞煕の顔が歪む。
タァン、タァン――
熱い鉛が異形の目に撃ちこまれる。もうひとつの光を失い、耳触りな断末魔が商店街に響いた。
「やったぞ、瑞煕!早くそこから離れろ!」
めちゃくちゃに暴れる異形の足元にうずくまる妹に声をかける。しかし、瑞煕が動く気配はない。
振り回される爪は未だ見当違いで瑞煕を捉える様子はないが、それも時間の問題のように思えた。
瑞煕の膝からは血が滲み、それが彼女の足枷となっていた。助けに行こうにも、両目を失った異形の動向は読めず、うかつに近寄ることはできない。
「くそっ・・・どうすれば・・・!」

――バチッ バチッ
遷己の視界の隅で何かが光った。天井からぶら下がった電線が、近くの店から転げ出したペットボトル飲料水の中身に触れて火花を散らしていた。
振りあげられた鋭い爪が、ちょうど瑞煕の頭上に影を落としている。もう、時間はない。
火花を散らす電線めがけ、遷己は一目散に走りだした。左腕をかまえ、細いコードに狙いを定める。
「―瑞煕にっ・・・!」
爪が振り下ろされる。ぎゅっと目を瞑り、来る衝撃に身を構えている瑞煕が見える。
そんなことはさせない、絶対に。
「触るなぁっ!!」
タァン― 渾身の力を込めた弾が放たれる。
力なくぶら下がっていた電線が弾かれ、バチバチと音を立てながら弧を描く。
そしてそれは、今まさに瑞煕を捉えんとする異形の腕に火花を散らした。
「ギャアァッ!!」
異形がのけぞり、身体をよじってコードを振りほどこうとする。
しかし、それは意志を持っているかのように動けば動くほどその黒い身体へと絡みついた。
ズン、と地面を揺らして異形がその身体を地面に放り出した。徐々にその動きが鈍くなっていき、やがてピクリとも動かなくなる。
肉の焦げるような臭いと煙がたちこめる商店街には、二人の荒い息使いしか聞こえてこなかった。
「瑞煕!大丈夫か!?」
左腕を元に戻し、遷己が瑞煕の元へと駆け寄る。遷己に支えられて立ち上がり、瑞煕はうなずいてみせた。数台のパトカーが商店街に向かってくるのが聞こえる。サイレンは徐々に大きくなり、静寂を取り戻した商店街にうるさいくらい響き渡った。
「やーっと来たか。遅いんだよ、まったく。
瑞煕、あとの処理は警察に任せるとして俺達は帰るとしようぜ。祷葵が心配して待ってる。」
その言葉に瑞煕はこくり、とうなずく。痛む足を庇いながら遷己に手をとられて歩き出した。
しかし、商店街を抜けた瞬間、瑞煕が歩みを止めた。手を引っ張られ、つられて遷己も足を止める。
「どうしたんだ瑞煕。帰らないのか?」
こくり、とうなずく。その視線は一軒の民家を見据えていた。
遷己の手をすり抜け、民家めがけて走りだす。
「あっ、おい!」
制止の声もむなしく、瑞煕の後ろ姿は細い路地へと消えて行った。
小さく溜息をつき、遷己も後を追う。サイレンや話し声が、どこか別の世界の音のように聞こえた。

2.

もう大分日も落ちきった。冷たい夜風に吹かれ、ゆっくりと意識を取り戻す。
全身にかいた汗が冷えて体温が奪われる。それでいて喉はカラカラだ。けだるそうに首をもたげ、閨登はゆっくりと目を開けた。
民家の角から漏れるパトカーの光。すっかり暗くなった街を照らす街灯。あれから随分と長い間眠ってしまっていたらしい。
放り出された手のひらを誰かにぎゅっ、と握られ、朦朧とした意識から抜け出した。はっとして目をやると、ガラス玉のような二つの瞳と目が合った。「よかった」と口だけ動かして満面の笑みを浮かべている。
「河拿さん・・・。」
その名前を口にすると、閨登自身も深い安堵感に満たされた。身体を起こし、瑞煕に微笑みかける。
「気がついたか?」
声のした方へ向くと、瑞煕の後ろから一人の青年が現れた。黒い髪に切れ長の瞳、手にはペットボトルが握られている。身にまとった白衣は、何故か左腕だけボロボロに裂けていた。
青年からペットボトルを渡され、ありがとうございます、と短く礼を言う。蓋を開けて中身を喉に流し込むと、水分を失っていた身体がみるみるうちに回復していくのがわかった。
「瑞煕が危ないところを助けてもらったみたいで、サンキューな。俺は河拿遷己。瑞煕の兄だ。」
そう言って、右手を差し出す。負傷した腕を庇いながら閨登も立ち上がり、その手を握った。
「はじめまして。河拿さんのクラスメイトの鴕久地閨登です。」
短い自己紹介と握手が終わり、遷己に支えられて瑞煕もフラつきながら立ち上がる。膝の出血は止まったものの、簡単な手当しかしていない傷口は依然ヒリヒリと痛んでいた。瑞煕の膝に気付き、閨登が目を丸くする。
「河拿さん、その傷・・・!」
閨登の視線に気づき、瑞煕は慌てて両手で傷口を隠す。言い訳を必死で考えているであろう瑞煕の顔はすっかり困り果てていた。見かねて遷己が茶化すように笑う。
「さっきそこで派手にすっ転んだんだ。こう見えてドジでどんくさ・・・いてっ!」
顔を真っ赤にした瑞煕にどつかれ、言葉はそこで途切れた。そんな二人を見て閨登も小さな笑い声をあげ、瑞煕の顔が耳まで赤くなる。
「いたた・・・。あんたこそ、その腕の傷は大丈夫なのか?なんだったら、家まで送っていくぞ。」
「いえ、僕は大丈夫です。ありがとうございます。」
ぺこりと頭をさげ、人懐っこい柔和な笑みを浮かべる。律儀な少年がいたもんだと、遷己も感心したように笑った。
「そっか。じゃあ、気をつけてな。瑞煕、帰るぞ。」
そう言って踵を返し、暗闇に向かって歩きだす。瑞煕も慌ててその後を追いかけ、二・三歩歩いたところでピタリと歩みを止めた。思い出したように振り返り、とたとたと閨登の元へ走り寄る。
閨登が首をかしげていると、瑞煕は満面の笑みで、
『 あ り が と う 』
と口だけ動かして告げた。その動きを読み取り閨登が微笑むと、瑞煕もぺこりと頭を下げて満面の笑みを返した。そしてひらひらと手を振ると、大分離されてしまった遷己の背中を追いかけてまたとたとたと駆けてゆく。
その姿が見えなくなるまで、閨登はそこから動けないでいた。

時刻は夜の九時をまわり、祷葵の焦りは段々と強まるばかりだった。
何度か戦闘に向けて訓練はしていたものの、実際に異形と戦うのは初めてである。戦場に送りだした遷己が帰ってこないのはもとより、瑞煕の帰りが遅いことにも気をもんでいた。
遷己と合流して異形との戦いに臨んでいるのか、襲撃に巻き込まれ怪我でもしているのか、はたまた全くの別件で事故や事件に巻き込まれているのか―・・・。
腕時計と山道に視線を往復させながら本日何度目かの思考を巡らせている最中、暗闇の奥から待ち望んでいた二つの人影がゆっくりとその姿を現した。祷葵の顔に一瞬にして笑顔が戻る。
「遷己!瑞煕!無事だったか!」
松葉杖をつきながら、今にも転ぶ勢いで二人に駆け寄る。そんな祷葵に気付き、遷己と瑞煕も慌てて祷葵の元へと駆けだした。案の定、体勢を崩して前のめりに倒れる身体を二人がかりで支える。松葉杖を手放し、ゆっくりと膝をつきながら、祷葵は空いた両腕で遷己と瑞煕を抱きしめた。安堵からか深い息をつき、二人を抱きしめる手に力をこめる。
「お、おい・・・祷葵・・・?」
「心配したんだぞ・・・。良かった、無事で・・・」
顔は見えなくとも、震える声から祷葵の表情は読み取れた。幼い子をあやすように背中をぽんぽんと撫で、遷己が笑う。
「よーしよしよし。なんだか祷葵って涙もろいよな。もちょっとクールキャラで通したほうがいいんじゃないの。」
「バカ、茶化すんじゃない。私がどれだけ心配したか・・・」
二人を離し、小さく溜息をつく。その顔にはいつもの笑顔が戻っていた。
松葉杖を拾い上げ、二人で祷葵を支えながら研究所に入る。長い廊下や、無機質な白い壁がどこか懐かしく感じた。
「古斑のペットは無事仕留めたのか?ヤツからの警告文によると相当デカいやつが来たそうじゃないか。せまい商店街では戦いにくかっただろう。」
廊下をゆっくりと進みながら祷葵が口を開く。その問いに、遷己は元気よくガッツポーズを作って見せた。
「まっかせとけって!俺と瑞煕のハイパーコンビネーションで見事やっつけてやったぜ!」
瑞煕も笑顔でガッツポーズを作る。遷己も、祷葵を見ただけで腰を抜かしていたあの頃と比べると随分とたくましく見えた。「そうか」とだけ返し、にやけて緩んだ顔を見られまいと廊下の先を見据える。
「祷葵の方はどうだったんだ?俺達が商店街に気を取られている間に襲撃とかなかったか?」
「ああ、私のほうは問題ない。・・・しかし、困ったものだ。私の研究内容を守るために君たちに協力してもらっているはずが、今は研究内容を盗まれることより君たちを失うことの方が何倍も怖いよ。これでは本末転倒だな。」
そう言って肩をすくめる。耳がかすかに赤くなっているのを見て、遷己と瑞煕は顔を見合わせて笑った。

後日、祷葵から二人に携帯電話が買い与えられたのは言うまでもない。

第3話 こわいもの

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